ラーマの日記 Hatena

南野陽子さん、将棋を中心に書いていきます。

イエス・キリストの誕生日について

サティア・サイババは1979年のクリスマス講話「愛は神にいたる道」の中で、「イエスは、今から1980年前、12月24日の早朝、午前3時15分に生まれた。その日は日曜日だった」と述べた。


ヘロデ王は、人口調査をするように命じた。全ての人が、銘々の生まれた村に帰って人数に数えられることを義務づけられた。マリアとヨセフは、ベツレヘムに向かう道を進んでいた。マリアは身ごもっていた。陣痛が始まった。彼らは近くに知った人が居なかったので、とある牛小屋に宿をとった。ヨセフは、牛と牛のあいだに場所を作った。時は真夜中だった。彼は、誰か手を貸してくれる女の人を探しに出かけた。その時、赤ん坊の泣き声が聞こえた。キリストが生まれたのだ。明るく巨大なオーラが、天空を光で満たした。これは、キリストが邪悪と無知に打ち勝ったというしるしであった。至高の愛の光が地上に降りて来たのだ。それは神の導きの時代の夜明けだった。イエス・キリストの誕生日を祝うためには、イエスが私たちの霊的進歩のために示した、簡単で実際的な教えに従わなければならない。彼の示した勇敢な手本を見習いなさい。彼が体験したように、神を体験しなさい」 


午前3時15分と言えばブラフマ・ムフールタ(午前3時~午前6時までの神聖な時間帯)だ。やはり予言者の魂は吉祥の時間を選んで生まれてくるのかもしれない。

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ブッダの場合も、母のマーヤ夫人が外出先のルンビニー園で産気づき、野外で生まれているが、聖徳太子も馬宿の前で生まれている。この不思議な一致性は、在俗者と彼ら聖人の違いを表しているのかもしれない。「この世に私の家は無く、家にまつわる欲望を超越して生まれてきた」と、暗に告げているようだ。


それ以外にもサイババは、イエスについての貴重な話を述べていた。

「ヨセフは神聖である神は1つであると信じていたので、生まれた子の名前を『イエス』と名づけた。この『イエス』という言葉の意味は何だろう?『イエ』は“1つ”。『ス』は“神聖である”ということを表している。つまり、『イエス』という名前の意味は『神聖である神は1つである』ということになる」

「イエスの母マリアは熱心な神の帰依者だった。マリアはイエスに、いつも神のことを考え続けるようにと教えていた」


エスが生まれた時、3人の王が東方から訪れ、それぞれが赤子について違う意見を述べたという。「東方から訪れた」ということは、インドから来た王様だった可能性が高い。

インドには「アガスティアの予言」が存在することからしても、予言者が当時もインドに生きており、その聖者が王たちに「もうすぐ生まれる」と教えたのだろう。それで王様3人は長旅をしてエルサレムまで行き、赤子を実見してきたのだ。


「イエスは幼少時代に父を亡くし、『母親は神である。そして父親も神である』ということを完全に悟った上で、母親に仕え始めた。両親に仕えるということは最も理想的なことだ。身体、血液、食べ物、これらは全て両親からの贈り物であり、あなた方は両親に感謝の意を表さなければならない」


「イエスは当時の習慣で婚約を取り決めるべき年齢が来た時、それを回避して隊商と共に東方へと旅に出た。イエスは16歳の時、インドへ行った。母のマリアは、イエスの旅費を作るため、家の財産を売り払った。しかしイエスは旅行中無一文で通し、1日1度しか食事をしないこともよくあった。彼は今日のインドでも見られる型の質素なドーティ(布を腰に巻きつけてズボンのように着るインド人の衣服)を身に着けていた」

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「イエスは最初から純粋で私心のない、いつも愛に溢れた人だった。彼は自分のことを計算に入れず、自らの全ての行いを世の中のために捧げた。その生涯の初めのうちに、彼は『私は神の使いである。私はすべての神の子に仕えるために来たのである』と皆に告げた」

「その後イエスは一人になって神の本質を深く黙想するために、この世俗の世を離れた。彼は12年の間、自らの内なる神に完全に没入していた。脇目も振らない集中力の深さは、彼をより一層神に近づけた。その神聖な意識の力によって、イエスは神にますます接近していき、ついに自分自身が神の子(条件付き不二一元の状態)であるという認識に達した」

「一層熱心に神を求めて、彼はヒマラヤ山脈の、人の住んでいない地域へと聖地巡礼の旅をして、さらに深く、間断なく神の愛に没入した。彼はこの修行を5年間続けた。山での隠遁期間中に、彼は数々の徹底したサーダナ(霊的修行)を行った。彼は彼自身の根本的性質が、父なる神の、全てを包括する愛であることに気が付いた。彼は『私と天なる父とは一体である』と宣言した。(神実現、不二一元に到達した)彼が全能の神と同じであることを完全に認識したのは、インドに滞在していた間の出来事だった」


「神との聖なる一体意識を獲得し、自らが精霊(アートマン)と一体であって不可分の存在であると気が付いた後で、彼は西方の国々に向けて帰って行った。彼はその時までの17年間をほとんど一人だけの状態で過ごした。彼が他の人々の手本として行動し、彼らに魂の救いをもたらす道を示すべき時が来たのだ」


「彼は自分だけが神の使いであるのではないと教えた。私たち全てが神の使いなのであり、人類の歴史に聖なる足跡を残すために地上に送られてきたのだ。イエスの時代の悪人たちは、彼を苦しめ始めた。彼らは向う見ずにも、神実現に至った人間を事実そのように扱ったのだ」


エスは16歳の誕生日から、東方に向かう隊商と共にインドに旅立った・・・。

16歳ということは高校1年生くらいなので、大人の骨仕事を手伝って、アルバイトしたりできる年齢だ。イエスは大工の父親の仕事を手伝い、働いていたので、隊商を手伝うこともできた。

長旅の中、「1日1食しか食べないこともあった」そうだが、これは断食の実践に当たるので賢明。

神の子の段階に到達すると、食べ物も物質化できるようになるため、ヒマラヤでも1人で修業が可能になる。ヒマラヤに住む本当の聖者たちは、いつも裸で過ごしていたりするから、ヨーガ(神との合一)が高度になると、体温調整までも、自己の支配下に置けるようになるのだろう。

おそらくイエスは、「仕事を手伝うので、インドまで連れて行ってください」と隊商の人たちにお願いして、一緒に連れて行ってもらったのだ。

玄奘三蔵もかつて、イエスのように天竺(インド)を目指した。“永遠の法”(サナータナ・ダルマ)がそこにはあると伝えられてきたためだ。法(ダルマ)を求めて入印する人物はとても稀で、1時代、1国に1人いるかどうか。命懸けで、本気で求める人はそれくらい稀なのだ。

玄奘は16年かけて膨大な仏典を持ち帰ったが、イエスの場合は神と合一して帰国したために、何も持ち帰る必要が無かった。神を実現することで全知に到達し、一切を知ったからだ。


エスが大工の倅として生まれたのは、霊性の進化というのを視覚化して実体験する目的があったからだろう。

エスは父親の手伝いをしながら、こんなことを思ったかもしれない。

「家を建てるのは大変なことなのだなー…。お父さんはこんな大変な仕事をしているんだ。モーセのように神と1つになるには、きっと家を建てるくらい綿密に計画を立て、土台からコツコツと作らなければ失敗するに違いない。私も若い今が人生の土台になる。なるべく早くに修行に入らねば、神を実現することは不可能だろう…」このように思っていたはずだ。


以下は、林 陽さんのレポートと、大橋信史さんの本からの抜粋。


「8年間インドのカシミール地方に滞在したシカゴ大学・神学部のゲール博士はその地に残る「ヴァビーシャ・マハープラーナ」(イエスについてサンスクリット語で書かれた聖典)という2世紀頃に成立したヒンドゥー教の古い聖典に、こんな記述を発見したという。」

「自らを『イシュワラ・プラタム、イシャ・マシー、カニシャ・ガルバム』と名乗る、異国からの聖者が王を訪ねてきた・・・」

「博士がこのサンスクリットの自称を翻訳したところ、「神の子(イシュワラ・プラタム)メシア・イエス(イシャ・マシー)処女から生まれた(カニシャ・ガルバム)」となった。つまり、イエス・キリストなる男がインドに渡来したと長く語り継がれてきた事実を発見したのだ。」(ここまでの文・林 陽)


それによると、イエスは母マリアとトマスと共に、ダマスカスに暫く滞在した後、北部ペルシアを横切って長旅をし、多くの人々に教えを説き改宗させ、「レプラ(ハンセン病)治療者」と言われた、と述べている。(この文から以下・大橋信史)

シャレハン王は、白衣の青白い顔の予言者(イエス)の姿に大変感銘を受けたという。

王に尋ねられた時、イエスは、「インダス河の遥か彼方の国で布教を行い、難儀に遭った」と答えた。イエスは、愛と真理と心の純粋さを説き、救世主(メシア)と呼ばれていた。

エスは、「自分の使命は宗教を浄化することだ」と言った。王はイエスをいろいろと援助し、彼の教えに従うことを約束した。イエスは寿命の終わり近くには、ダル湖の辺りで地味な生活を送った。

しかし、大勢の人々が教えを聞くためや病気を治してもらおうと、彼の許を訪れたという。高齢になったイエスは弟子のトマスに、自分の務めを継承するように、また自分の死んだ場所には墓を作るよう言い遺したという。

これと同様の記述は、新約聖書の外伝である「トマス行伝」にも記載されており、そのトマスは最後に、チェンナイに行ったという。チェンナイの「トマスの墓」と言われている場所には、現在「聖トマス大聖堂」が建っている。

カシミール地方のスリナガル、ロザハル聖地に葬られているのはイエスの肉体ですか?」というキリスト教徒の帰依者の質問に、サイババは「そうです」と答え、イエスの墓はインドのスリナガルにあることを明らかにした。
(ここまでの文・大橋信史)


エス磔刑によって刑死したのではなく、その後に復活し、インドに向かいながら伝道の旅を続け、老年まで生きた。キリスト教会は13歳から30歳前半までの、イエスの青年期の記録を削除しているとされるが、これで謎が解けた。

当時のイエスは「私の後に、私を遣わした父が自ら来る」ということを教えていたらしいのだが、これは聖書から消されている。ただ、「ヨハネ黙示録十九章」には、サティア・サイババのこととしか思えない記録が出てくるので、天の父であるエホヴァを信ずるキリスト教徒は、サイババの存在を無視できない。


イエス・キリストは歴史上存在しないと主張する学者方は、ラーマクリシュナ、ラマナ・マハリシ、アマチといった全知の聖者たちがその存在を認めるイエスを、今後も否定できるのだろうか?




参考資料

サイババ イエスを語る」 サティア サイ オーガニゼーション ジャパン刊
サティア・サイババ 述 牧野元三 和訳

サイババ 神の降臨」 中央アート出版社
大橋信史 著

サイババ 神の御業」 中央アート出版社
天上昇 著

「釈迦の本 ― 永遠の覚者・ブッダの秘められた真実」 学研
NSM ブックスエソテリカ宗教書シリーズ

「ムー」 学研

「あるがままに」― ラマナ マハリシの教え ナチュラルスピリット
デーヴィッド ゴッドマン 原著:編集 福間 巌 翻訳

「インドの光 聖ラーマクリシュナの生涯」 中公文庫
田中 嫺玉 著

「永遠なる叡智 第1巻」― エターナル・ウィズダム(1)
スワミ・ニャーナアムリターナンダ 著、編集
日本マーター・アムリターナンダマイー・センター刊

「フロム アマズ ハート― 聖なる母との対話」
スワミ・アムリタスワルパーナンダ 著
日本マーター・アムリターナンダマイー・センター刊

知ってるつもり?!日本テレビ
三蔵法師 玄奘三蔵
2001年9月2日放送


「紀元前の曜日」 (現在はリンク切れ)
http://tancro.e-central.tv/cgi-bin/subZeller2.cgi

「1年1月1日は、何曜日ですか?」
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1111377826

「1月1日あれこれ」
http://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/topics/html/topics1994.html

「西暦」 ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/西暦

メディテーション(瞑想)」 ブラフマ・ムフールタ 〔神の刻〕
http://www.sathyasai.or.jp/mikotoba/discourses/d_19720000_1.html

 

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